花束の話
2016年 05月 15日

オリーブの木したに勝手に生えてきた
ワイルドストロベリー
ずっと ずっと実を付けて
花をつけて
で これがまた香りがすっごくいい!

ストレス?!のために
はじめたらしい娘のベランダガーデン
ちゃくちゃくとお手入れが進んでいます

いちど枯れそうだった長生きの月桂樹も
すっごい美味しそうな新芽がいっぱい
タイムとキャットニップの寄せ植えのけんかの話やら
ジャスミンがなぜか網に絡み付かないらしいとか
そんなたわいもない休日をすごしています
で「花束を君に送ろう」で始まる
朝ドラの歌
いろいろな方がカバーしているのを
流しながら ハーブたちと触れ合ってるのですが
ヒカルさんの表現と
それぞれの方の表現の違いが面白なって
それにこの歌は誰を想って作ったのかなってとこも
なんだか深い話です
「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」
このメイクという言葉と
薄化粧という言葉で
なんだかね
生きているときはメイクという言葉で
薄化粧という言葉で死化粧を彷彿させます
そして
「始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した」
もうこの文章でぐぐっと
音もそれをひきずるように
主題にはいっていく
すっごい素敵な歌だなって
歌を聞きながらの作業って
いろいろなことを考えて
違う世界に自分が入り込んでいくようで
楽しい
「どんな言葉並べても
真実にはならないから」
そう
いろいろなことがあっても
本当は関わった人しか
真実はわからない
本当にそう
子育てするときに
「悪意がなかったからいい」って
「わざとじゃないから いい」って
でもほんとうはそうじゃない
「わざとじゃなくても人を傷つけたらだめ」って
邪気がない無邪気であっても
やはり傷つけたら×って
子どもにちゃんと言えたかな。。。
私たちの時代は有無をいわせず
「だめ」
そうして大人になったようにおもいます
でも
大人になってからの傷については
なにをもっての傷なのか。。。
ほんとうの真実は当人通ししかわからない
大人になってからのわざとじゃないって
本当は 心根に邪気があっても
人には邪気がないってうそをつくから
そうして 傷つけられた人がまた
邪気をもって無邪気を装うとき
より 心の傷が深くなる
ほんとうの傷口は本人しかわからない
だから 誰かのために何かをするのなら
どっちかの見方になるんじゃなくって
傷ついたこころを受け止めるだけでも
きっと立ち直るきっかけになると思う
だから 言葉ではなく
花束をおくろうって
この歌って本当に奥が深いな
花束が とっても優しくって
想いがこもってるって感じます
涙色になってることで
文章の意味が明確になって
映像が鮮明になるように
以前 とっても辛いことがあったとき
「お嬢さんに」って
黄色の小さなお花をいただいたことがありました
本当に困っていて
心が折れそうな時でした
その方は何も言わずに
そうしてくださった
この歌を聞くと
そのときの自分の心の傷に黄色の花の映像が広がっていきます
もし 自分自身が
手を差し出す側になったとき
言葉ではなく
痛みを感じている方に
そんな気持ちに寄り添える「花束」が渡せる
いただいた黄色の花を次にだれかに
渡せる人になれるといいなって
精進がたりず
そこがむずかしいのですが。。